プロフィール
出口日出麿関門弟子
profilephoto 出口日出麿関門弟子ここに在り。日出麿尊師の遺言により、五代紅,守るぞよ。示現神通力、示現大光明。
社会ネタ.宇宙論(難しいけど).宗教学のうわっつら.武術を練って天人合一になりたかったけどね。やっぱムリ.やっと宣伝使になれました!関門弟子とは師父の生前最後の弟子のこと。
幼少より多少、勉強が出来ることを鼻にかけて弱いモノいじめに精をだす。中学で逆転していじめられっ子に転落。この時より発憤して高校入学とともに講道館柔道入門。高校3年の夏に初段取得。以後、大学時代は日本伝統古武術を研究する。と共に自己改善の為、旅行をよくした。大学4年の時、自己改造講座に出会うも失敗する。放浪の末、大本教に出会い、出口日出麿尊師より御神徳をいただく。平成3年8月に初参綾し、翌日出口王仁三郎生誕120年の瑞生大祭に参拝。その後日出麿先生とのであいが起こる。以後、行ずること十余年。古今独歩のヒデマラーとなり、現在に至る。このブログは言いたいことを言う。その点をふまえた上で宜しくお願いしたいものである。 大本本部信徒。公然の秘密のブログであるから、あまり知ってても言わないようにね。よろしく。私をご支援くださる方は三井住友銀行箕面支店、普通1541192モトバヤシミキトシまで、少額でもご支援下さい。、メール:mikitoshi.4310@gmail.com。よろしくお願いいたします。
出口日出麿先生、御神徳談。
平成3年夏、当時はある事情から霊眼が使えた。
霊を見たり、会話するのはできた。
私は霊は大嫌いだし。憑依されるのはもっと嫌い。
理科系だから 霊がいるならウジャウジャいるはずだと
思っていたら、本当にウジャウジャ いた。ウンザリだ。
当時はやり仙道を千葉に習いにいき、八幡書店の
霊界物語を紹介されて購入、第9集真善美愛から読んだ。
非常に良いものだ とわかった。あるとき、三田から綾部は
近いな、行ってみようと思い。 電車で綾部へ。
綾部の神社の裏に小さい家があるからそこなら泊めてもら
えると想像して行った。綾部駅に着くと教えてもらわなく
ても勝手に大本に ついた。たしか夕6時頃、弥勒殿の右
のあたりで大本の女の霊が出迎えている。 ようおいでやし
たなあ。手招きして弥勒殿の小さな家にすーーーと
消えていくが、そこには入れないなあと思い止めた。
弥勒殿の前で朝まですごそう。と思っていると見回りの
人がきて 「何してる?」と聞かれ事情を話すと昔の
松香館(ボロイ奴)の一階の宿直室 (玄関の右の部屋)の
空いてる所に泊めてくれた。翌日、「瑞生大祭だから亀岡
に行かないか?」と言われ茨城県から来た退職教師夫婦と
共に電車で亀岡へ 出口王仁三郎生誕120年だったと
思う。雨が降ったので王仁三郎が泣いてる のか?と思った。
毎月一回行かねばならぬと思い。来月も綾部に電車で
行った。 多分、夜7時頃に到着、駅から綾部から歩いて
行くと梅松苑の 黒門の辺りから街中を誰かが走り回って
いるような光の跡が 見えた。多分、松香館に泊まったと
思う。8時頃出て行き 弥勒殿の玄関に行くと神前から
ドでかい光の柱がドーーーンと 出てきて前のエノキの木
に当たって天に向かって立ち上っている。
本当の宗教というのは凄いものだなあと思った。ここで
修行するとよいと思い。弥勒殿の前で座禅を組んでいると。
黒門からサーーーーと青い人影が走り込んできて、
自分の左後ろに 立ち、オマエ何をしている?と言った
瞬間消えた。 すっと横に寝かされ誰かが私の体内を
ジロジロと見ている。 黒い部分がスッと消えると終わった。
翌日、朝拝。 金光教と似たようなもんだろうと思い祝詞を読んで
出てくると みんな玄関の所で左の方角(緑寿館)に向かって挨拶
している。 なんであっちにあいさつするの?
意味不明だった。 それからだ。亀岡に行かねばならぬ。
ということで、次週亀岡で 巡拝。その次週、綾部に行って
夜、本宮山に登った。柵を乗り越えた かも知れない。
坂道を登ると長生殿を作っているのが見えた。 頂上に
上がると神声歌碑があり、そこで何か起こるのか?と思って
座って見たが、何も起こらない。下山してその翌週
くらいに亀岡の 月宮宝座の前で平伏し天津祝詞奏上して
鎮魂帰神の法を授けてもらった。
まだ、誰が何をやっているのか、さっぱり理解していない。そんなもんだ。
鎮魂帰神は変わった神懸かりで、普通は霊は頭上か後頭部に
着くのだが、鎮魂帰神は霊が前額に懸かり、下丹田まで降りてくる。
下丹田に霊がいる大変便利な神懸かりだ。人格が急に大人っぽく
変わり授業がうまくいくようになった。 黒板で字が上手に
書けるようにもなった。なぜか短歌をよく考えるようにもなった。
11月、学校にいると出口王仁三郎!という感じがして家で
霊界物語を読んでいると。王仁三郎聖師が現れて(よく写真に
あるような服を着て白かった)すまんなあ。あんたの願いは
かなえてあげられんのや。と語った。
12月、亀岡の大銀杏の木の下で悩んでいると眠ってしまい
起きると天から声がして、おまえはおまえの師匠の所へ行け
大本にいてはいけない。と言われた。年末に東京へ行き、
仕方がないのでアイツの所に行ったが大掃除だけして会わなかった。
東京の東光苑で日出麿尊師死去の報を知る。ああこれか。
とわかった。それから北海道にスキーに行った。帰宅して再び
綾部へ行くと日出麿尊師のでかい写真が弥勒殿に飾ってある。
スススと吸い寄せられるように引っ張られて写真の前に平服
オマエは何をやっているのか!そんな事でどうするか!
とこってりと絞られた。さすがに恐ろしくてアイツには会えません。
というと、それなら仕方ないこれを持って帰れ。ということで
先生のお写真一枚と神仙の人出口日出麿を購入して帰宅した。
その後、お写真を持って帰宅したが。写真立てに入れさせて
もらえないので、霊界物語の一番後ろに挟んで置いた。
私が未信徒の時、部落差別の問題で大変悩んだ。霊界物語
にも水平社設立当初の話が出ている。あまりに苦しいので
神様に祈った所、日出麿先生のお写真から霊気がドドドドドと、溢れだした。
この世に生き神はいない。と習っていたが、先生は生き神だった。
お写真をケースに入れると、お前は欲ばっかりだ。とまた怒られた。
指導して頂くと有難いものだ。お写真を覗けばいつでも
先生に会える。先生はお元気か?とよく思う。 日出麿先生には、なぜか色々教えてもらった。言霊アオウエイの意味。 私が習った言霊アオウエイはアは天、オは地、ウは下丹田で人 エはエイで左右に開く、イは射抜くから前後の力。 ようするに天地人、左右、前後で三次元ということだ。 言霊アオウエイは三次元を動かしたり、清める言霊である。月次祭で昇神、降神でオの言霊を使っている。神霊を天から地に降ろす言霊だからだ。 王仁三郎聖師はウの言霊を使っている。ウウウウウウウとね。 これは下丹田。鎮魂帰神の法で下丹田に神霊がいるから、下丹田に効く言霊をあげているのだ。 一般人がウウウときばると大便が出やすい。 下腹に力を込めるにはウの言霊である。
自分も言霊アオウエイは教えてもらったが使えなかった。
三田の橋の下で気功していると夕立なので、雨を止めようと言霊アオウエイを上げてみたが雨がやまない。天津祝詞を上げると止んでしまった。背後霊の影響だ。 日出麿先生が大本の守護霊をつけてくれた。平安時代の貴族 みたいな白い奴が居ると思ってた。大本の祭官である。
霊界物語第一巻天地倍判の意味も習った。竜体が出てきてどうのこうの?これは宇宙ができるとき状態だと習った。
王仁三郎聖師の霊眼で見た、宇宙創生である。大本ということ になる。霊界物語に出てくる天地はインドの宇宙観に似ている。 王仁三郎聖師はそのように感じるのだろう。そう感じるから 仕方がない。天地の真象もそうであるが、夜空に見える星も 全て神界からの啓示であり、それを読み取る方法を日出麿先生は 許されていた。これはいわゆる天機にあたる。特別に神より許された 者のみがそれを識る。自分は一時的にそれを許された。 学校で慰安旅行にバスで行き、あ、月が赤い、学校が荒れる。と思い。 学校を辞めると学校が荒れてしまった。今は出来ない。ある時、邪霊で困った。では、と言うことで日出麿先生に教えてもらった方法が日出麿先生式で邪霊を自分が吸収して調伏して排出するというものだった。三田で吸収して川西の図書館で排出した。これはとても苦しい方法であった。おまえには向いていない。と言うことで、産土の神様に頼め。ということで近所の熊野神社に大本宣伝歌の本を一冊持って行き、天津祝詞奏上後、御神号奉唱、お賽銭箱に大本宣伝歌を収めた。その後産土の神が家を守ってくれるようになったが、ある時村祭りがあるから帰っていいか?とその霊がいうので、どうぞと言うとその霊は帰って行った。

おばさんが精神病で困っているから、と言うと亀岡から神霊に来てもらった。おばさんの家のテレビの横の本棚に「いきがいの探求」一冊を入れて天津祝詞奏上、御神号奉唱で神霊が「いきがいの探求」の本に宿った。しばらくしておばさんの家の家運は回復した。
「神仙の人 出口日出麿」を購入して帰ったが何気なく読んでいた。ある時自分の大本の守護霊が来て、この本を読んでいると本の最初の方で日出麿先生がイボだらけの赤子をフッと一息でイボを消してしまう箇所になった。そのまま読んでいると急に心の中に感動がこみ上げてきて涙がハラハラとこぼれ落ちだした。「こんなありがたいことがあるのか。。。」という感動だった。

すると神霊が「どうだ?こういうのが欲しくないか?おまえがいらないならこれは与えないが。。。。」と聞くので「いや是非、私にこれを与えて欲しい。よろしく頼む。」というと「なら授けよう。」と答えた。これ以降、「神仙の人 出口日出麿」を読んでいて、日出麿先生が奇跡を起こして人を救うシーンにさしかかると自然に涙がハラハラハラハラ流れるようになった。私がいただいた神徳で一番ありがたいのがこれである。

ある時、三田の河原で気功をしにいくと子猫が捨てられていたので拾ってきて飼っていた。ある時、家に帰ってきて子猫の箱をのぞくと子猫がカチカチになっていて、仮死状態になっている。コレはヤバイと思い暖めたりしたりして八方手を尽くしてみたが回復しない。仕方ないので祝詞をあげてみると、透明の幽体みたいなのがスーーーと降りてきて子猫と合体した。ほどなく子猫は回復したのだった。子猫は幽体離脱させられていたのだった。この子猫は人にあげてしまった。
 四代教主様が死去されて、綾部にお葬式に行き駐車場係をやって帰ってきた。五代様は出口紅という人だと聞かされ、もちろん顔も知らないし、独身ということだけ聞いた.

おそらくその晩であろう。五代さんを口説く夢を見た。上品なホテルの一室に五代さんと私がいる。五代さんの顔は紅さんとは違う顔の女で和服を着ている。色々と私が話しかけてみるが、おもしろい会話に成らず。大変つまらなかった。「おまえが五代さんと結婚すればよい」という声で夢が終わった。

その後、ご面会の機会も何回かあったと思う。たぶん天恩郷でお茶でもいただいたと思う。亀岡に親和体道を習いにいくと天恩郷の駐車場の外の歩道を歩いて家に帰る?五代様を見かけたこともあった。

出口日出麿関門弟子on twitter あります、
インスタグラム  hidemarus.laststudent

あの時       出口日出麿
血みどろになって どうやらこうやらここまできた ふり返ってみれば おおぜいの人たちが 自分のたったさっきまで辿った路を あえぎつづけている みよあの急勾配の坂を あそこで自分は どれほど苦しんだことだろう! 喉はかわく息はせまる 肉にくっついた重い荷が肩をしわらせる ああ駄目だ!と心中で幾度叫んだことだろう

辛抱なさい もう少しだ そう言って 自分の肩を押してくれた人があった ああ あの時あの人が居なかったら 自分はとうに息がきれていたのだ! みよ、すぐ目の下の石ころみちを 一足登れば二足すべる 杖はころげる草鞋はやぶれる 腹はすく 目はくらむ うしろから うしろから 遮二無二かなぐりついて 乱暴なーいや死にかかった人達が 自分にすがる 気をしっかり!もうすぐだ 頭上の岩角から 誰かが叫んだ ハッと元気づいて 夢中で自分はかけぬけたのだった どうやらこうやらここまで来たのは来たが 今見ればゾッとする 踏み辷らしたが最後 ころころころっと落ちてゆく あれあれあれ今あの人が落ちたように ころころころっと落ちるのだった! あれあれああやって 今おおぜいの人たちが 苦しんでいるのだ あがいているのだ 傷ついているのだ 仆れているのだ

頂から景色を眺める?バカ!そんなぜいたくな真似は 自分には出来ぬ 選まれた者だけが登れる山だって? イイヤ、そんな不人情は自分が人間である限り 云うことは許されぬ 見ゆる限りの兄弟たちが あの血みどろの世界から 解放されてしまう日までは 声を限りに 自分は泣こう 今日も泣こう 明日も泣こう あさっても泣こう 神さまどうぞ 今少しく試練をやわらげたまえ 今少しくさばきを軽くしたまえ 神さまどうぞ すべてを許す救いの綱をたれたまえ 彼等がみんなここへ来るまでは 自分は祈ろう 声をかぎりに 今日も祈ろう 明日も祈ろう あさっても祈ろう

霊界物語、第一巻、序

この霊界物語は、天地剖判の初めより天の岩戸開き後、神素さ鳴命が地球上に跳梁跋扈せる八岐大蛇を寸断し、つひに叢雲宝剣をえて天祖に奉り、至誠を天地に表はし五六七神政の成就、松の世を建設し、国祖を地上霊界の主宰神たらしめたまひし太古の神代の物語および霊界探検の大要を略述し、苦集滅道を説き、道法礼節を開示せしものにして、決して現界の事象にたいし、寓意的に編述せしものにあらず。されど神界幽界の出来事は、古今東西の区別なく現界に現れ来ることもあながち否み難きは事実にして、単に神幽両界の事のみと解して等閑に附せず、これによりて心魂を清め言行を改め、霊主体従の本旨を実行されむことを希望す。
大正十年十月二十日 午後一時
於 松雲閤 瑞月 出口王仁三郎誌

基本宣伝歌

朝日は照るとも曇るとも月はみつともかくるともたとえ大地は沈むとも
曲津の神は荒ぶとも誠の力は世を救ふ
三千世界の梅の花一度に開く神の教
開いて散りて実を結ぶ月日と土の恩を知れ
この世を救う生き神は高天原に神集う
神が表に現れて善と悪とを立て分ける
この世を造りし神直日、心も広き大直日
ただ何事も人の世は直日に見直せ聞直せ身の過ちはのりなおせ。

霊界物語81巻、天祥地瑞、総説
総説が私は霊界物語の結論であると思う。

「蓋し老子は此の至大天球の真を明言する事不能、玄之復玄衆妙の門と言ふ也。門といふ者は表半球の形を謎にかけたる也。若し明言して天球云々と言ふ時は、種々の質問起こる也。諸に答ふる事不能也故克々思ひやるべし。釈迦は無辺法界といふ、不思議界といふ。実に思ひ議る事不能者也。孔子は容と言ひ復一ツと言ふ。誠に以て不届千万なれども、明言すれば、(中略)故に六識七識八識九識十識の事は、目録にも足らぬ譬喩談を演説したるのみ。実明したるお経とては唯の一巻も無き也。天親菩薩が七識以上はとても叶わぬ、依って唯六識を説くといひて唯識論を置きたけれども、妄々たる譬喩談にて目録にも足らぬなり。」

「ササ有りと知る人あらば、道統の本元寄而来るの極元は是也と一句たりとも説明して見よ。釈迦も達磨も其の道統の本元因て来るの極元を不知故に直接明言に道法を説明する事不能也。故に譬喩、寓言、謎談のみにして、弥勒如来の当来を待ちて教を楽び奉る也。故に六識七識八識九識十識の柄を少なくも説く事不能也。故に識の事を記した経は一巻だも無し。天親菩薩の唯識論の妄々たる者が極々珍書の位を占め居る実にビン然の至也。速に弥勒の出現を乞ひ奉れ、否弥勒を請ぜよ。」


続瑞能神歌



時機過ぎ往きし迦過なれば 叢雲はれざる言霊閣や
自己も自己もと我魂のみ 憐れすげなく事象かし
速秋津峠を前に視て いまだ悟れぬ言霊馬鹿ぞ
世も大本も今は多駄 頭と口の宗教ぞ
直日の御魂と瑞御魂 現われ若木日本魂
上と下との変換る さまぞ筆に止めおく

     六

近江の幽山にたちこめし 魂の邪霊の重なりて
今は九尾の本姿 世界の隅にまたがりて
組んづほぐれつのたうつる 姿は憐れ曲津状
我と我が身を迦身合ひて その行様のすさまじさ
やがて現と世に知らし 時ぞ今にと迫り来る
シベリア狐は死にたれど 魂の邪霊は様々に
妖霊呼んで東天は 北から攻め入る非道さよ
オーツク海や千島舟 樺太島とゆさぶりて
雪割草の間より 暗雲低く仇鳥の
舞ひ降り上る恐ろしさ
北海道から三陸へ なだれの如く押し寄する
ここをセンドと聯合の 獣の庭や神の国
花のお江戸は原爆や 水爆の音草もなく
一望千里大利根の 月の光ぞ憐れぞかし
残るは三千五百万 赤き自在天主の旗のもと
どっと攻め入る雨利加の アラスカ浴びる人も無く
非義非道の場所せまく 自棄と破壊に轟きて
哀れくずるや星条旗
血潮に赤き統一も 一年余年の殺りくも
ここに終わりて神の子は 再び原始に返るぞかし
東天光も今はなく 物質界の曲津神
狂人の如くふるまいて 世は様々の相尅ぞ
世の大本も散り失せて 月の輪台の影あわれ
お影信心けしいたる 信徒も今ははなれさり
直の三千五百人 残る教の幕開きは
この時からと高熊の 山の五十鈴川や清水谷
国常立の大神の 岩戸開きはこの時ぞ
固き巌に手をかけて 振ふて落とす地獄道
ノアとナオとの水火霊 現はれ出てゆすぶれば
一天俄かにかき雲り 矢を射る如く流星の
地球に向って落ち来る 大地一度に振動し
吼へば地軸の回転も 止るばかりの大音響
物質浄土は忽ちに 地獄餓鬼道修羅と化す
山は崩れて原野さけ 人は憐れに呑み込まる
身の毛のよだつすさまじさ 今明らかに書きおくぞ
三段いよいよ開く時 三千余年の昔より
国の御祖の選まれし...

     −−欠落不明部分−−

     七

やがて治まり春となり 荒びし地上に青草の
萌え出る頃や三十年 神代乍らの祭政一致
開き始めて日の本の 月照山の高天に
始めて出身や日之出神 瑞の御霊を千別して
日の出は磨く治めゆく
ここに従う三五の 人の心ぞ尊かし
宇宙を拝し宣りませば 世界は輝き自転の
東に向ひてふし拝む 地上天国この時ぞ
五年を経れば現はれぬ 皇大神の神力と
真の信にて愛善の 花と梅との花ひらき
真心のみぞつくしませ
惟神 神は我らと共にあり
風致に迷ふ事もなく 教団ならぬ神の道
信愛せられる人々と 王仁の身魂の願い事戒しむ
ああ惟神々々御魂幸倍座しませよ
                     (出口聖師未発表の預言といわれるもの)

予言研究協会機関誌(昭和40年代)からの抜粋を他と照
合させ大成せしめた。1999.8.15 by ONIKEN

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